「61歳になったお年よりは、山にすてなければならない」...そんなおふれがとの様から出された村で、ある男が自分のおかあさんを山にすてに行くお話です。おかあさんは本当に自分の子どもにすてられてしまうのでしょうか。すてきな大津貞子さんの読みきかせも見ることができます。
- 民話の舞台
- 宮崎県五ヶ瀬町
- かたりべ
- 宮崎児童文学まりの会大津貞子さん
- 収録地
- 宮崎県宮崎市
- 収録日
- 2008年9月10日
- 協力
- 宮崎県総合博物館
- 再生時間
- 6分07秒
読んでみよう
方言版

むかしむかし...
あるところに、年よりのおっかさんをやしなっている男があった。ところが、この国のとの様が、
「年よりは六十一になったら、山へうっせにゃならん」
というおふれを出したげな。
「こまったことじゃ。もぞなぎいこっちゃ」
男は毎日そういって、との様のおふれのことを心配していた。しかし、六十一になったおっかさんを、そのまま家においておくことはできない。すると、おっかさんが、
「との様に見つかったら、おおごとじゃ。早よう山へすててくれ」
と言った。
男はおっかさんにそう言われると、ますます悲しくてならなかった。が、ある夜のこと...、とうとう、おっかさんを山へすてることになった。
男はおっかさんをせなかにかるって、とぼとぼと山へ登っていった。うす暗い月あかりの山道は、西も東もよく分からなかった。男はただむちゅうになって、山のちょう上めざして、登っていった。
すると、せなかにかるわれたおっかさんは、ほとくらから白い紙を引きさいて、それをこよりのようにねじりながら、木のえだや、カヤのかぶに結びつけていた。
男はそれとも知らずに、何回か休みながら、山のちょう上にたどりついた。そして、ここで、おっかさんに、
「すまんことじゃが、かんにんしてください」
とあやまって、さいごの別れをおしんだ。するとおっかさんが、
「おまえは帰るときに、道にまようといかんばい。木やカヤに白い紙きれを目じるしにつけちょるかい、それを目あてにもどるといい」
と言った。
男はおっかさんの言葉を聞いて、
「親というもんは、死ぬまで子どものことをわすれんもんじゃ」
と考えた。それから、男はまたおっかさんをせなかにからって、家につれてもどったげな。
男は、山からつれて帰ったおっかさんを、ざしきの下にあなをほってかくし、やしなっていた。
ところが、間もなく、との様から、おふれが出た。との様はとなりの国から、むずかしい問題を出されてこまっていた。
その第一は、もとすえの分からない黒い柱を見分けてほしいというのであった。
男はあなの中のおっかさんに、この問題をたずねてみた。すると、おっかさんは、もとすえは、川につけて見れば分かると教えてくれた。
これで、との様の第一の問題はとけた。もとが重くて、すえが軽く、流れるときにはすえが先になるのである。次の問題は、はいでしめなわをなってこい、というのであった。これは、塩水につけたなわをなって、それをもやすと、ちゃんとはいのしめなわができあがった。
第三の問題は、「うたんたいこの鳴るたいこ」というものを持ってこい、というのである。それは、ふるいに油紙をはって、その中へハチを入れて、たいこのようにしてつくりあげた。すると、なかのハチがぶんぶんあばれて、うたんたいこが、プンプンプンとうなっていた。
おかげでとの様は、三つの問題をとくことができた。それからこの男はとの様から、ほうびをつかわすといわれたとき、「うちのおっかさんを助けてくだされ」と言った。との様は、男からなぞときのわけをきいて、それからもう年よりを山へすてんごつおふれを出したげな。
標準語版

むかしむかし...
あるところに、年よりのおかあさんをやしなっている男がいました。ところが、この国のとの様が、
「年よりは六十一になったら、山へすてなければならない」
というおふれを出しました。
「これはこまったことだ。なんてかわいそうなことだ」
男は毎日そういって、との様のおふれのことを心配していました。しかし、六十一になったおかあさんを、そのまま家においておくことはできない。すると、おかあさんが、
「との様に見つかったら、おおごとです。早く山へすててくれ」
と言いました。
男はおかあさんにそう言われると、ますます悲しくてなりませんでした。しかし、ある夜のこと...、とうとう、おかあさんを山へすてることになりました。
男はおかあさんをせなかにせおって、とぼとぼと山へ登っていきました。うす暗い月あかりの山道は、西も東もよくわかりませんでした。男はただむちゅうになって、山のちょう上めざして、登っていきました。
すると、せなかにせおわれたおかあさんは、ふところから白い紙を引きさいて、それをこよりのようにねじりながら、木のえだや、カヤのかぶに結びつけていました。
男はそんなことも知らずに、何回か休みながら、山のちょう上にたどりつきました。そして、そこで、おかあさんに、
「すみません、かんにんしてください」
とあやまって、さいごの別れをおしみました。するとおかあさんが、
「おまえが帰るときに、道にまようといけないと思って、木やカヤに白い紙きれを目じるしにつけておいたから、それを探しながらもどりなさい」
と言いました。
男はおかあさんの言葉を聞いて、
「親というものは、死ぬまで子どものことをわすれないものなのか」
とむねをうたれました。それから、男はまたおかあさんをせなかにせおって、家につれてもどりました。
男は、山からつれて帰ったおかあさんを、ざしきの下にあなをほってかくし、やしなっていました。
ところが、間もなく、との様から、おふれが出ました。との様はとなりの国から、むずかしい問題を出されてこまっていました。
その第一は、もとすえの分からない黒い柱を見分けてほしいというものでした。
男は穴の中のおかあさんに、この問題をたずねてみました。すると、おかあさんは、もとすえは、川につけて見れば分かると教えてくれました。
これで、との様の第一の問題はとけました。もとが重くて、すえが軽く、流れるときにはすえが先になるのです。次の問題は、はいでしめなわをあんでこい、というものでした。これは、塩水でつけたなわをあんで、それをもやすと、ちゃんとはいのしめなわができあがりました。
第三の問題は、「だれも打たないのに鳴るたいこ」というものを持ってこい、というものです。それは、ふるいに油紙をはって、その中へハチを入れて、たいこのようにしてつくりあげました。すると、なかのハチがぶんぶんあばれて、だれも打たないたいこが、プンプンプンとうなっていました。
おかげでとの様は、三つの問題をとくことができました。それからこの男はとの様から、ほうびをつかわすといわれたとき、「うちのおかあさんを助けてください」と言いました。との様は、男からなぞときのわけをきいて、それからもう年よりを山へすてないようにおふれを出しました。
ポイント
お年よりは、わたしたちが知らないいろいろなちえやちしきを持っています。そういったものを上手に取り入れると、機械などにたよらなくても、わたしたち人間の手でいろいろなものを作ることもできるのです。身近なお年よりに、どんなことを知っているか聞いてみましょう。
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