かっていた牛をワシにさらわれた主人は、ワシをつかまえるために待っていたら、ぎゃくに自分もワシにさらわれてしまいました。つれて行かれたのは遠く九州のはなれ小島。そんな主人をつれて帰ってあげようとあらわれたおじいさんの正体は...?
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気仙郡竹駒村(けせんぐんたけこまむら)の相川という家に残るむかし話である。この家のせんぞは、織田信長(おだのぶなが)とのいくさに負けて、はるばると奥州(おうしゅう)へ落ちのびてそこに住まっていた。ある日多くの牛を牧場に放していると、不意に大きなワシが来て子牛をさらって飛び去った。主人は大いにおこって、どうしてもあのワシをつかまえなくてはならぬと言って弓矢をとり、牛の皮をかぶり、牧場にうずくまってワシの来るのを五六日の間待っていた。そのうちにつかれてとろとろっとねむると、やにわにワシが飛び下りて来て、主人をむんずと引っさげたまま、はるかかなたへと運んで行った。
主人はどうともなすすべがないので体をちぢめ息を殺して、ワシのする通りになっていると、遠くの海の方へ行く。そしてある島の大きな松の木の巣の中へ投げこんだまま、またどこともなく飛去った。
主人はワシの巣の中にいて、はてどうかして助かりたいものだと思って、あたりを見まわすと、巣の中に鳥の羽がたくさん積まれてあった。そこでそれを集めなわをなって松の木のえだに結びつけてやっと地上へ下りたが、それからはどうすることもできぬから、その木の根元にこしをかけて、思案にくれていた。
そこへどこから来たのか一人の白はつのおじいさんがあらわれて、お前はどこからここへ来たのか、何のために来られたか、なん船(せん)にでもあったのならともかくに、こんな所へよういに来られるものではない。ここは玄界灘(げんかいなだ)の中のはなれ島であると言った。主人は今までのことを物語って、どうかしてふるさとへ帰りたいが、玄界灘と聞くからにはすでにその望みもたえてしまったとなげくと、おじいさんは、おまえがそんなにふるさとへ帰りたいなら、おれのせなかに乗れ。そうしたら、必ず帰国させてやろうと言った。主人はけげんに思って、それではお前様はだれで、またどこへ行かれるかと聞くと、おれは実はサケの大助である。年々十月二十日にはお前のふるさと、今泉川(いまいずみがわ)の上流の角枯淵(つのがんぶち)へ行ってはたまごを生む者であるとのことであった。そこでおそるおそるそのおじいさんのせなかに乗ると、しばらくにして自分のふるさとの今泉川に帰っていた。
こういうわけで、今でも毎年の十月の二十日には礼をあつくしてこの羽縄(はなわ)に、おみきくもつをそなえて今泉川のサケ漁場へおくり、きつ例によってさけどめ数間を開けることにするというのである。
協力/遠野市立博物館 前川 さおり
遠野ふるさと村 立花 和子(敬称略)
ことば
- 織田信長(おだのぶなが)
せんごく時代のとのさまの一人
- すまって
(→すまう)すむ
- やにわに
いきなり
- なって
(→なう)糸やひもなどをより合わせて一本による
- 思案(しあん)にくれて
あれこれと考えて
- 白はつ
しらが
- なん船にあう
船がそうなんする
- ようい
かんたん
- 玄界灘(げんかいなだ)
福岡県の北西の海
- けげんに
あやしく
- 年々(ねんねん)
毎年
- 羽縄(はなわ)
陸前高田市竹駒町にある羽縄観音堂のことと思われる 気仙三十三観音の一つ
- おみきくもつ
神さまに捧げるお酒とたべもの
- サケ漁場
サケをとる場所
- きつ例(きつれい)
めでたいならわし
- サケどめ
サケをつかまえるために川をせき止めるしかけ
- 数間(すうけん)
一間(いっけん)はおよそ1.8メートル
ポイント
ちょっとむずかしいお話ですが、動物に助けられた恩(おん)返しの物語です。でも、わたしたちはサケを食べなければ生きていけません。そこで、せめてものかんしゃの印としてれいぎをつくしたり、人間がたくさんサケをとりすぎないように逃がしてあげることは、人間とサケの両方が生きていくための思いやりのあらわれとも言えます。
よもやま民話にまつわるエピソード
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岩手県『サケの大助』について
岩手県はサケの有数の漁獲量をほこることから「南部サケ」として県の魚に指定されており、縄文時代から日本人の食生活にふかくかかわっていて「捨てるところのない魚」と言われています。








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