仙台市内を流れる広瀬川には、権兵衛渕(ごんべえぶち)という人の名前がついたよどみがあります。なぜ、人の名前がついたのでしょう。それは権兵衛という男が、あることをして、ふちの主である大うなぎをおこらせたからでした。そのあることとは...
- 民話の舞台
- 宮城県仙台市青葉区
- かたりべ
- 渡邊将裕さん
- さし絵
- 笠原七恵さん
- 収録地
- 宮城県仙台市泉区
- 収録日
- 2009年3月18日
- 協力
- 東北生活文化大学高等学校 美術コース 宮城伝承文化研究会
- 再生時間
- 7分15秒
読んでみよう
ある朝、権兵衛(ごんべえ)の家に親友の浩太(こうた)がやって来て、
「よー、権兵衛。昨日、山椒(さんしょう)の皮たんとはいできたからよ、おっかあににさせているんだ。それ使って、魚とりに行こうや。」と、さそってきました。山椒の皮は、魚をしびれさせることが出来るのです。
権兵衛も川魚が大好きだし、弁慶(べんけい)にほぞんしている魚も少なくなってきたので、権兵衛は行くことにしました。
権兵衛は川魚とりの名人で、大との様の川遊びにおともをしたり、川魚とりを取りしまる役目も持っているため、川遊びが自由なのでした。なので、友だちは決まって権兵衛をさそうのです。
浩太は、友だちの三左(さんざ)と友吉(ともきち)も連れてやってきました。
四人は、今日はどこで魚とりをしようか、と話し合った結果、「大うなぎが住んでいるといわれる大ぶちでやろう」と決まりました。四人は、早速その大ぶちに向かいました。
大ぶちに着くと、西の山は仙台城、南の山は御霊屋(おたまや)山が見わたせる、とても景色の良い場所です。権兵衛たちは早速、山椒の入ったふくろを川にいれ、足でそのふくろをもみ始めました。
二人が下流で待っていると、その山椒でしびれた魚が次から次にと浮き、流れてくるのでした。1時間ほどで、食べ切れないほどの大量の魚がとれました。
そろそろ終わりにしようとしていたら、とつ然、水面があれ始め、何かが権兵衛たちをにらみつけているようなのでした。
それも半時ほどで静かになり、小魚が水面いっぱいになって川下に流れて行くのでした。川下では河原町(かわらまち)や長町(ながまち)の人たちが大ぜい集まって魚拾いが始まりました。
その日は何事も無くすんだのでしたが、三日後の夜、権兵衛のゆめに大うなぎが出てきたのです。 大うなぎはランランと光るにくい目で、権兵衛をただジーっとにらむのでした。
次の日、権兵衛は、大うなぎも山椒で苦しませてしまったのが悪かったのだと思い、大うなぎをたい治しに、長いヤリを持って大ぶちに出かけました。 大ぶちは静かでしたが、水の奥に何やら光るものが2つありました。
その光は大うなぎの目だったのです。大うなぎは権兵衛めがけて、水中から飛び出してきたのです。
権兵衛の飛ばしたヤリは見事にどう中にささりましたが、大うなぎのおが飛んできてハッシとばかり権兵衛を打ったのです。
権兵衛の体は大ぶちにと飛ばされ、ドブンとばかりに大ぶちの底にとしずんでしまったのでした。それっきり権兵衛のすがたは二度と見ることが出来なかったとのことです。
その後、毒を使っての漁は、伊達綱村(だてつなむら)公によりきん止とされ、この御霊屋(おたまや)下の大ぶちは、権兵衛渕(ごんべえぶち)とよばれるようになったと、伝えられています。
絵/笠原 七恵(かさはら ななえ)
読み手/渡邊 将裕(わたなべ まさひろ)(敬称略)
ことば
- 山椒(さんしょう)
古くからこうしん料や薬用として使われてきた植物。サンショオールという成分が魚にとっては有毒なので、むかしはは生の葉や果実のしるを川に流して、で魚をとっていました。
- 弁慶(べんけい)
丸みを帯びた四角いよう器で、げんざいも調理具材入れや、ステンレスでできた箱を「弁慶よう器」とよびます。牛若丸(うしわかまる)と戦った弁慶がせおっていた笈(おい)という箱に由来します。笈はおぼうさんや山ぶしがしゅ行の旅をするときにせおう箱です。
- 大ぶち
広瀬川にあるふち(水深が深いところ)の名前
- どう中
からだのどうの中ほどの部分
- 伊達綱村公(だてつなむらこう)
江戸時代の1675年~1703年まで、宮城県や岩手県の南部を治めていたとの様。
ポイント
この民話には、食べ切れないほどのいのちをうばうと、あとで手いたい目にあうという教えがこめられています。自然のめぐみがあるおかげてわたしたちは生きていけるのですから、むだに生きもののいのちをうばうことはもちろん、食べ残すことも同じぐらいつみなことなのです。
写真館民話のふるさとを写真でみてみよう
-
仙台市を見わたせる青葉山に行ってみました。写真は戦国時代のぶしょう、伊達政宗(だてまさむね)公のぞうです。仙台のシンボルにもなっています。ぞうが見ている方向が仙台市の中心部です。
-
青葉山は標高203m。ちょう上まで車で行けます。仙台市内のほとんどをみわたすことができました。
-
青葉山に登り、まず目に入ったのがこの神社でした。明治維新以降の戦争などで亡くなった人のうち、この地域とかかわりのある人をまつっているそうです。朱色(しゅいろ)が目立つきれいな神社でした。
-
青葉城(あおばじょう)のあとは国の史せきに指定されています。建物はほとんどないものの、りっぱな石がきが残っていました。
-
広瀬(ひろせ)川のげん流方面に向かい、鳴合きょうというけい谷へ。トラック1台がやっと通れる、細い橋の上からさつえいしました。山おくのようですが、これでも広瀬川全体では中流いきなのだそうです。
-
賢淵(かしこぶち)というところにも行ってみました。ここにもクモにまつわる伝説が残されているそうです。調べてみてはいかがでしょう。
-
民話が生まれた権兵衛渕(ごんべえぶち)の上にかかる霊屋橋(おたまやばし)。町中だったので、「本当にここで民話が生まれたの?」と思いましたが、橋からのぞいた川は神ぴ的な色をしていて、なっとくできました。
-
霊屋橋(おたまやばし)の下におりてみました。エメラルドグリーンの広瀬川からは、今にも大うなぎがすがたをあらわしそう。きっと昔はもっと静かな場所だったのでしょう。
-
広瀬川は仙台市内だけでも、さまざまなすがたを見せてくれます。この写真は国道4号の下あたりから、JR東北本線の鉄橋方面を見たもの。空の広さと、野鳥がかくれられそうな川岸が印象的でした。
-
-
-








